Goodbye Loneliness
ツイッターではたまに触れる程度であったが、私は宇多田ヒカルの大ファンである。
彼女の描き出す緻密なメロディが、そしてその歌詞が殊更に好きだ、と簡単に書いてしまうと大変薄っぺらいが本当に大ファンである。本当です(念押し)
具体的にいつからファンだったかというのは、実は覚えてはいない。だいたいテニスの王子様のファンを始めた頃と同時期であったように思う。
彼女の歌は同年齢の若者たちの間で「普通に」流行っていたラブソングや青春ソングたちにはとてもじゃないが代えられないと思っていたし、ずっとそう思っている。宇多田ヒカルの楽曲以外を全く聴かない、そんな偏った学生時代を過ごしてきた。それでも全く飽きることなどなかった。表情を変え続ける魅力が一曲一曲に詰まっていて、聴くたびに新しい発見があるのだから、飽きるはずがなかった。もちろんいまだに飽きていない。
そんな私の人生の側にいつでもあった存在が無くなる(と書くのは間違いだが敢えてそう書く)と知った時の私のショックは、今思い出しても泣けてくるのだから本当に重症だった。
この曲をご存知だろうか。
彼女の活動休止のニュースとともに当時世間を駆け巡った一曲なので、聴いたことくらいはある方も多いかもしれない。ミュージックビデオの監督は本人で、そして今までの彼女の音楽活動を振り返るようなそんな一曲である。
どうだろうか。こちらを聴いてどのような感想をお持ちになるだろうか。少なくとも私にとってはコレはついこの間まで、絶望の象徴だった。こんなにも美しい「引き際」を見せられてしまって、無意識にもう私は「ああもう彼女は表舞台には帰ってこないのだろうな」と思っていた。だってそれはもうあまりにも「完成」された一曲なんだもの。(※個人の感想です。)
休止前のライブ(私は悲しいかなチケットが取れずライビュにて参加していた)では開始一曲目にこちらが歌われた。
もうね、大号泣した。それはもう。だって一曲目からこれって……サヨナラライブじゃんねこれは?いやそうなんだけど?本当に?この曲以降(つまりほぼライブの全て)の記憶がフワフワしてしまう程度に私はさめざめというかビイビイ泣いた。以降の人生に彼女の歌が無くても私はやっていけるのだろうか。どうか私を置いていかないでほしい。そんなことばかりを考えていた。
時は経ち2018年。その間にシングル、リミックス、アルバムなどが配信されたことで私は普通に命を繋いでいた。想像していたよりずっと恵まれた環境であったのにさらに、アルバムがもう一枚出てなんとライブが行われるのだという。
ライブの一報が世を巡った時、「Goodbye Happinessを歌ってほしいな」と密かに、切に願った。さよならを突きつけられたあの曲、でも実は本当に本当に大好きな一曲への想いを昇華させたい、今の彼女が歌うとどんな違いが出るのか知りたい、と思った。
ライブから随分時間も経ってしまったことだし、結果から申し上げたい。この、なんというか個人的にものすごい思い入れのある一曲はなんとライブの「一番最後に歌われた楽曲」と相成ったのですよ。
…………おわかりいただけただろうか……つまり……完全に成仏したんです、私……どうも霊体の米粉です今あなたの魂に語りかけています……
イントロ聞こえた瞬間に雷に撃たれたようになってまたフワフワになったんですけどとにかく笑顔で……とっても楽しそうに……歌ってたなっていう……今回は一曲目の「あなた」(というか彼女の歌う姿)見てボロッボロに泣いてたけどもどうにか押さえ込んで引っ込ませていた涙ももう一度大参戦ですよええそりゃあもう。
ここ8年引っかかってたものがね……取れちゃったんですよ……アッわたしヒカルさんのファンとして新しいステージにきたな……?っていう……うまく言えないんですが……ファンとしての魂のステージ上がったな?感がありました……
途中まで真面目に語ろうとしたのに突然脳直になりました。おかしいな。どうしてこうなったんだ。
とにかくね、永遠かと思われていた「さようなら」が、「とりあえず、またね!」に変わった瞬間、その美しい瞬間が、あのライブにあったんですよっていう、そんな覚書です…………
やっぱり私は宇多田ヒカルの大ファンです。